こんにちは!
今回はフォロワーさんと劉親子のお話で盛り上がってリクエスト頂いた小説です。
リクエストくださいましてありがとうございます♡
劉禅中心の、劉親子のお話。
設定としては蜀が崩壊後の薄暗い状況ですが、ポジティブ大好きな奴なので・・・最後は妙にメルヘンになりました(笑)
お暇つぶしにでもなれば幸いです!!


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明日へ <劉親子>

 

  

行儀よく膝の上に揃えている手に、初冬の穏やかな日差しが当たって温もりを感じる。

風も無い、こんな日を小春日和と言うのだ、と教えてくれたのは誰であっただろうと彼は独り、東屋の中から雲の少ない青空を見上げて、ふと昔を思い返した。

趙雲だったであろうか、諸葛亮であっただろうか、姜維、いや星彩か、と懐かしい顔ぶれを脳裏に蘇らせてみるが、彼の小さな疑問に答えてくれる者は、此処では誰も居ない。

目の前の机の上には美しい茶道具一式に美味そうな菓子が並べられているけれども、それらは全て一人分しか用意されておらず、彼の周りの椅子は全て空席で、そこに冬の日差しによって長い影が静かに差し込んでいるだけだ。

立場上、侍従や侍女が近くに居ても良いはずなのに、今の彼の周りには誰一人として傍らに付いている者は居ない。

彼らは衣食住の必要な準備はしてくれるが、場が整うと皆、きれいに居なくなってしまうのが常になっていた。

その理由は彼自身が良く知っている。

『蜀を捨てた暗愚』

『敵国でのうのうと暮らす恥知らず』

己の侍従たちにさえ、自分がそう言われて蔑まれていることを。

安楽公、とは皮肉な称号よと陰で嗤われている事実も彼、劉禅は全て知っていて、それでも以前通りのまま微笑を崩さず、洛陽での孤独な日々を過ごしていた。

時折こちらの顔を見に来る司馬昭はそんな彼を見て何とも言えない表情をするときがあるが、劉禅自身は特に不自由も無く、それに自身で選んだ現在であるから、周囲の反応は当然だといった風にしている。

今日の茶の時間もいつも通りの景色と場面で、寂しさという感情など忘れてしまったような様子で独り、茶を淹れる劉禅の耳に、聞きなれない音が届いた。

おやと劉禅が茶を淹れる動作を止め、首を傾げて辺りを見回すと、落葉の進んだ木々の間から、その音は聞こえてくる。

木々の隙間から微かに落ち葉を踏む音と共に現れたそれに、劉禅は目じりを下げた。

「おや・・・客人か?」

劉禅の問いかけに、相手がにゃあ、と鳴き声を上げる。

まるで返事をしたかのようなその声に、劉禅は小さく笑った。

「ふふふ、このような所へ遊びに来ても、何にも無いぞ?暗愚の所には鼠すら寄り付かぬのだから」

彼は迷い込んできたであろう茶トラの野良猫にそう言ってみるが、相手は劉禅の言葉など聞いていない様子でゆっくり近づいて来ると、日向になっている椅子に登って前足を揃えて座り、こちらの顔を見上げてもう一度、にゃあ、と鳴く。

野良猫にしてはやけに行儀の良い姿に、劉禅は微笑んで小さく肩を竦めた。

「昼寝に来たのか?残念ながらそなたへ遣るものは何も無いが、それで良ければゆっくりしていくがいい」

家主の許可が出たと分かったのか、猫は椅子の上で数回居場所を定めるようにくるくると回ると、身体を丸めて日向ぼっこを始める。

自由なその姿に、劉禅は表情を緩めたまま、茶碗を手に取った。

「不思議な猫だな、そなたは・・・私はむかしから人にも動物に好かれぬというのに。父上と違って・・・」

ちちうえ、と言葉に出してから、その存在を思い出した劉禅の動きが止まる。

あの時から心の奥底に仕舞い込んで、幾重にも鍵を掛けて、口に出さないと決めた存在を、思いがけず口に出してしまった瞬間、脳裏にふわりとある思い出が蘇る。

『公嗣』

まろやかな呼び掛けが、聞こえたような気がした。

穏やかな日差しが注ぐ中庭には、勿論劉禅以外には誰も居ない。

だが、彼の耳には懐かしい声が届いている。

『このように穏やかな冬の晴れを小春日和、と言うのだそうだ』

嗚呼、と家主が漏らしたため息のような声に、隣の椅子で日向ぼっこをしている猫が耳を小さく動かして反応を見せた。

茶を一口啜った劉禅は、眉を下げて落ち葉に彩られている庭先を遠い目で眺める。

「貴方でしたか。私に、この言葉を教えて下さったのは・・・」

春の日差しのように温かい笑顔。

戦装束を身に纏い、多くの部下達へ号令を掛ける凛々しい姿。

彼の義弟たちや趙雲、諸葛亮などと机を囲んで何やら相談事をしているらしい真剣な表情の横顔。

そして。

そして、そんな大人たちを邪魔するまいと遠慮がちに遠くから見つめる自分に気付いた時、目を細めてこちらへ大きな手を差し出しながら呼び掛けてくれた優しい声。

『公嗣』

まろやかな呼び掛けが再生された途端、はっと、思い出に引っ張られていた自分に劉禅は気が付く。

彼は俯き目をつむって、膝の上に置いた手をぎゅっと強く握り込んだ。

あの頃の楽しかった記憶を思い出すことは、いけないと己を諭す。

自分は罪を償わなくてはいけない身なのだ。

あの人達が血の滲むような苦労と努力を重ねて作り上げた国を、あっさりと棄てたのだから。

きっとこんな自分を、彼が赦してくれることは無いだろう。

だから、己に昔を懐かしむ資格など無い。

今の自分に出来ることと言えば安楽公と嘲り混じりに呼ばれ、嗤われながら、独りで大人しく日々を過ごすことだけなのだ、と劉禅は光を消した瞳を開いて、閑散としている庭木を虚ろに眺めた。

 

人気の無い屋内を、劉禅はゆっくりと歩いている。

歩き慣れた廊下、見慣れた床の油染み、簾飾り。

初めは当然という気持ちで歩いていたが、劉禅の中で徐々に違和感が大きくなってきた。

此処は、成都の城である。

自ら降伏し、振り返ることなく御車に乗り込んで、棄てた城。

その事実に気付いた時、劉禅の足は止まった。

何故貴殿が此処に居るのだ、と咎める者も、彼を喜んで迎え入れる者も居ない城内は、しんと静まり返っている。

しかし、そこはつい先程まで大勢の人間が住み、走り回っている形跡が生々しく残っているのが容易に伺えた。

薄気味の悪い状況に、劉禅が困ったように眉をひそめて辺りを伺っていると、奥の部屋からなにやら微かに物音が聞こえてくる。

劉禅はその物音が何かを確かめに行くか、無視をするか決めかねて、その場に突っ立ったまま顔だけを先の部屋へ向けていると、突如部屋の扉が開いた。

そして出てきた人物を目にした劉禅は、驚きで言葉を無くす。

人待ち顔で部屋から出てきた相手は廊下を見渡し、視線の先に居た劉禅に気付いて笑みを浮かべた。

「公嗣、遅いではないか。早く来なさい、湯が冷めてしまう」

「ち、ちちうえ・・・」

あまりに驚いてしまって足が動かない劉禅に、劉備は困ったやつだと苦笑いしながら歩み寄ってくる。

「自分で約束をしておいて遅刻する者があるか。さあ」

ぐっと力強く手を引かれて、劉禅は漸く一歩を踏み出した。

「約束、致しましたか?私が??」

劉禅の斜め前を歩く劉備がその言葉にちょっと振り返り、片眉を上げる。

「まさか昨日の約束を忘れた、と言うのではないだろうな?珍しくお前から話がしたいと言われて待っていたのだぞ」

「あ・・・も、申し訳ありません」

知らない、と言えばこの場が壊れてしまいそうに感じた劉禅は、咄嗟に謝罪の言葉でちぐはぐな会話を繕った。

連れてこられた部屋は、劉備の私室。

「今日は義弟に子龍、孔明にも来ないように言いつけておいた。誰にも遠慮せずに話してゆくとよい」

「・・・ありがとうございます・・・」

一体自分は何を父親へ語りたかったのだろうと内心首を捻りながら、茶を淹れてくれる劉備の手元を見つめる。

彼が選んだ茶の銘柄を見、湯を注いで漂ってくるその香りに、劉禅は目を細めて懐かしい、と思わず呟いた。

その自分の呟きに父から変な顔をされるかと一瞬心配をしたが、相手は少し口角を上げてそうだろう、と返してくる。

「この茶は私と子龍が好んで飲んでいたものだからな、お前は持っていないのだろう?」

「え・・・ええ」

相手の言葉に違和感を覚えつつ、劉禅は素直に頷いた。

器を温めていた湯を捨て、香り高い茶を注ぎ入れると、劉備は息子の前にそれを置く。

いただきます、と行儀よく礼をして茶を一口啜った劉禅が、父親へ向けて柔らかい笑みを向けた。

「美味しいです。父上の入れて下さる茶は、とても甘く感じます」

茶碗を手にした劉備は、息子からの褒め言葉を嬉しそうに受け止める。

「そうか。今日の蒸らしは上手くいったようだな」

「私も、父上のように茶を・・・」

上手く、と言いかけた劉禅の口が、止まった。

今の己には、誰かに淹れる茶など無いのだ、と思い出す。

国も、城も、民も、臣下も、みんな棄てた愚かな自分が独り、居るだけなのだと。

この事実を、目の前の父に伝えなければ、と劉禅は妙な焦りに襲われた。

だが、どう言い出せば良いのか直ぐに答えが出ない。

茶碗を両手で抱えるように持って、黙りこくっている息子を、劉備は問い質す事もせず、ただ穏やかな目で見つめている。

暫くして、真剣な表情に変わった劉禅は、ゆっくりと口を開いた。

「・・・父上」

「どうした、公嗣」

「今から、妙な事を申します」

「ほう?」

「馬鹿な事をとお怒りになられるやも知れませぬ・・・ですが、ただ、世迷い事と聞いていただくだけで構いませぬゆえ」

「ああ、分かった」

茶碗を卓の上に置いて、こちらに向き直った父親に倣い、劉禅も背筋を伸ばす。

ひとつ、大きく息を吸うと、劉禅は凛とした声を響かせた。

「父上、私は、この国を無くしてしまいました」

劉備からの反応は無い。

勇気を振り絞って劉禅は続ける。

「私は、父上たちが必死の思いで造り、孔明たちが命を賭して護ったこの国を潰して、魏へ渡しました。そして今は洛陽で安楽公と称され、のうのうと暮らしております」

かすかに震えた声が、劉備の耳に届いた。

自然と、膝の上に置いた劉禅の手は固く握りしめられ、顔にも血の気が無くなってきている。

「父上が決して赦して下さらない事を、私は行って参りました。御赦し下さい、などとは絶対に申しませぬ。劉公嗣は暗愚ゆえ、」

「もうよい」

息子の告白を遮って、劉備は彼の手の上に己の手を重ねた。

「もうよい、公嗣」

ゆっくりと告げられた言葉に劉禅が白い顔を上げると、微笑む劉備の姿が目の前にある。

「今までのお前の全て、ちゃんと見ていた。そうして理解したのだ。私が後始末を全て、公嗣に背負わせてしまったのだと」

力強く、大きな手が劉禅の柔らかい手を包み込んだ。

「すまなかった・・・辛い思いをさせたな、公嗣」

その温もりに、劉禅は滲みそうになる涙をこらえて首を振る。

「違います!私は、父上になれずに」

己の愚かさを更に告白しようとする息子を劉備は真っ直ぐな瞳で止めて、握る手に力を込めた。

「なれなくて当然ではないか。親子であろうと、人はそれぞれ違うものだ。私も、公嗣にはなれぬ。全てを背負って、愛する民に石を投げられても笑んでいられるお前には、とても敵わぬよ」

「そのような、そのような・・・・・っ」

父の手に自らの額を押し付け、嗚咽を漏らす劉禅に、劉備も涙を浮かべてその背を撫ぜる。

「嗚呼、私の前で泣きべそをかいたお前を見るのはどれくらいぶりだろうか?今まで良く頑張ったな、公嗣」

来なさい、と手を引かれて、劉禅は父親の両腕に優しく抱き締めて貰う。

「ここに居る皆すべて、お前の行いを責めてはおらぬ。共に生きていた時には見えなかったモノが、ここでは良く見えるゆえな。だから公嗣、もう己を責めながら残りの生を過ごしてはいけないぞ?」

懐かしい温もりに包まれ、誰も居ないからと父親に促され、劉禅は声を上げて涙を流す。

「父上・・・」

父に甘えるようにひとしきり泣いて、気持ちが落ち着いた頃。

涙に濡れたままの瞳を上げると、劉備も泣きながら微笑んでいた。

「公嗣、泣き終えたのならば次は笑ってくれ。お前の微笑みはこの父の安らぎでもある。次にいつ会えるか分からぬ場所ゆえ・・・さあ」

促された劉禅は父の腕の中で戸惑いがちに目を泳がせる。

「そう・・・急に笑えと仰られても・・・」

眉を下げて困り顔の息子に、劉備は嗚呼と何事か思いついた顔になって白い歯を見せた。

「・・・子龍が言っていたな、お前はくすぐったがりだと」

「え、・・・わっ!ちちうえ!?おやめ下さ・・・!!!」

脇腹の辺りをくすぐられて、劉禅は身をよじらせ、父親の胸を叩きながら笑い声を上げる。

久方ぶりに聞いた息子の笑い声を聞いているうちに劉備も可笑しくなってきて、手を止める頃には二人で笑い合っていた。

上がった息を整えながら、劉禅は小さく膨れて見せる。

「父上は昔から悪戯がお好きでしたことを、失念しておりました」

「ははは、そう怒るな。実は私もくすぐったがりでな、子龍に・・・あ、いや」

余計な事を言いそうになった口を慌てて噤んだ父を、劉禅が可笑し気に見つめた。

「変わらず、仲は宜しそうですね」

「う、うむ・・・」

鬢の辺りに手を遣ってちょっと気まずそうな顔になった劉備を、息子が朗らかに笑う。

「父上、私からもひとつ、お願いが」

「うん、何だ?」

己の両手を差し出して、劉禅は口元を上げた。

「手を、握って頂けませぬか?父上の大きな手が、私は大好きなのです」

そう告げると、自分の白くて頼りない手が、力強い大きな手に包まれる。

「これで良いか?」

「ありがとうございます。私はずっと、父上のような手になりたいと憧れておりました」

こちらの温もりを確かめるように手に頬を寄せる息子を、目を細めながら劉備は優しく眺めた。

「親孝行な事を言ってくれる。私も、お前の柔らかな手を気に入っているぞ」

きゅっと繋がれた手に視線を落とし、劉禅は照れたように小首を傾げて見せる。

「ふふふ、ありがとうございます・・・父上、またいつか、お会い出来るでしょうか?」

「いつ、とは断言できぬが・・・どこかで必ず繋がっている。必ず会えよう。そのときは・・・」

劉備の言葉の途中で、己の意識が急速に覚醒へと引き上げられてゆく感覚に劉禅は襲われた。

「父上!ちちう、」

自分の声で、目が覚める。

いつもの洛陽の宅で、使い慣れた寝台の上に居るのだと気付くのに時間は掛からなかった。

だが、あまりに幸せだった夢から急に引き剥がされた劉禅は、現実に戻ることを認めたくなくて、目じりを擦る。

すると己の目元には乾いた涙の跡が残っていて、彼は寝ころんだまま両手を上に上げて、頼りなげな自分の手を見つめ、先程の力強い温もりを辿るように父上、と呟いた。

そうして、夢の中で淹れて貰った茶の名前を声に出すと、劉禅はほう、と息をついて柔らかく笑む。

次に会える時まで、あの茶を自分でも上手く淹れられるようにしておかなくては、と小さな小さな目標を、彼は自分で生み出していた。

 

 

 

(おしまい)