こんにちは!

先日前編まで書いていた趙劉話が完成しましたので更新致します。
こちらに前編も入れましたので続けて読めるように致しました。

貼り付けている落書き漫画は、このお話の序盤をイメージして描いたものです。
小説内とは少し違うシチュエーションとなっておりますが、こんな雰囲気の入りとなっております。

ちなみにめちゃくちゃ長いです・・・
お時間に余裕があって暇つぶしにしてやるぜ!というお優しい方がいらっしゃいましたら是非お付き合い下さいませ・・・

それでは本編へどうぞ~

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君の後ろ髪 <趙雲と劉備と白眉>

 

 

 

1.

両手に山ほどの書簡を抱えて廊下をせわしげに歩いているひとりの文官が、そのままの速度で角を左に曲がろうとした時であった。

「っ!」

「!・・・っと」

その曲がり角で鉢合わせした相手が咄嗟に身体を躱してくれたお陰で互いがぶつかることは避けられたものの、突然の遭遇にびっくりして身を竦めた文官の抱えていた竹製の書簡達が、まるで彼の代わりのように乾いた音を立ててばらばらと床へ散らばる。

「まあ・・・申し訳ありません!わたくしが良く確認しないで歩いていたものですから」

身を躱してくれた鎧姿の相手へぺこりと頭を下げると、白眉の持ち主である文官の馬良季常はしゃがみこんで自らが落とした書簡を急いで拾い始めた。

いえ、と相手も穏やかに返して身を屈め、自身の足元に転がっている巻物へ手を伸ばす。

「私こそ失礼いたしました。誰も居ないと思い込んでいたものですから。馬良殿、お怪我はありませんでしたか?」

廊下に散らばった書簡達を一緒に拾い集めてくれている若者へ、馬良は微笑みながら頷いて見せた。

「ありがとうございます、将軍が避けて下さったお陰でこのように。趙将軍も大丈夫でしたか?」

「はい、お気遣いありがとうございます。鎧を着ておりますので多少のことでしたら」

そこまで語った趙雲の軍装を改めて目にした馬良が、気恥ずかしそうに空いている手を頬に添える。

「まあそうでした。一騎当千のお方に、わたくしは何と無粋な心配を」

紐が解けてしまった書簡を巻き直しながら趙雲はくすぐったそうに笑った。

「ははは、とんでもありませぬ。戦場を離れればこのように気も散漫になる、だらしのない者です」

「ふふ・・・まさか。趙将軍がだらしのないお人などとお話される方に会ったことなどございませんよ?」

「畏れ入ります。ですがこれからは城内でももう少し気を付けるように致しましょう」

手伝ってくれている趙雲の手を煩わせまいと馬良も手を動かしてはいるが、顔を俯けるたびに長い後ろ髪がさらさらと前に零れ落ちてくる為、時おり片手で黒髪を払いながら書簡を拾い集める作業を続ける。

集め終えた書簡達を馬良へ渡そうとした趙雲だったが、相手の手元を見てその動きを止めた。

「宜しければ私もお持ち致しましょう。お一人で持つには大変そうに見えますから」

既に両手いっぱいの書簡を抱えている馬良は趙雲の申し出に目を丸くし、慌てた様子で首を横に振る。

「い、いいえ、いいえ!お忙しい将軍に荷物持ちのようなことをさせては罰が当たります。この上に重ねて頂ければわたくし一人で持って行けますので・・・」

書簡を抱えている両腕を趙雲へ向かって差し出し、その書簡達をここへ載せて欲しいと促しても相手はにこやかな表情のまま、行きましょうと馬良の本来の進行方向へ身体を向けた。

「馬良殿を驚かせてしまったのは私の方ですし、いまは特段に急ぐ要件もありませんのでお供いたします。力仕事だけは得意なので」

ここまで相手に言われてしまえば馬良も無下には出来ない。

ありがとうございます、と素直に感謝の言葉を伝えると二人は並んで歩き始めた。

目的地へ向かって歩きながら最近の天気や他の蜀将たちの話などをしているとき、長い髪の毛を頭の高い位置でひとつに結い上げている趙雲の髪型が馬良の目にとまる。

「そう言えば趙将軍、その髪型は素敵ですね」

いきなり己自身を褒められた趙雲は酷く驚いた様子で髪の毛へ手をやる。

「か、髪型、ですか??」

戸惑っている相手をにこにこと眺めながら馬良は頷く。

「はい。とても動きやすそうなお姿だなと思いまして。髪が長いと時折扱いに困るときがございますから」

馬良の艶やかな黒髪を目にした趙雲が成程、と微笑んだ。

「馬良殿や諸葛亮殿のように冠を被られる方はご苦労もおありでしょう。私は戦場で邪魔にならぬようにとの理由からこうして束ねているだけなので見た目には無頓着に過ごしておりましたが・・・まさかそれを褒めて頂けるとは思いもしませんでした」

「ふふ、将軍らしいお話ですね。実はわたくしも暑い日などには束ねてしまいたいと思うこともありますけれども、仕事中に冠を外すわけにはゆきませんから・・・そんなふうに思い切った髪型は少し羨ましく思うのです」

諸葛亮の義弟だけあって日頃から公私共に身なりも言動もきっちりと整えている馬良から思わぬ話を聞いた趙雲は、不思議そうな顔で首を傾げている。

「では、お休みの日も馬良殿はその髪型で過ごされていらっしゃるのですか?」

「自宅内では冠を外して、邪魔にならないようにこの辺りでひとつに結っておりますけれども」

両手は塞がっているため馬良はちょっと振り返るようにして自らの肩の下辺りを目で示し、白い眉を下げた。

「髪の毛の量が多くて、趙将軍のように高く結えないのです。出来るのでしたらやってみたい気持ちは少々・・・」

美しい黒髪の持ち主に意外な悩みがあったと知った趙雲が、嗚呼と声を上げる。

「そうでしたか。もしご興味があるのでしたら、結うコツなどお話致しましょうか?馬良殿でしたらすぐに出来ると思いますが・・・勿論、ご迷惑でなければ」

相手の申し出に、馬良の顔がぱっと輝いた。

「まあ、是非おしえてくださいませ!一度試してみたかったのです」

嬉しそうな相手の声に、趙雲の顔もほころぶ。

「特別な道具など使わないので偉そうにお話するまでも無いのですが・・・」

馬良の仕事達を小脇に抱え、空いた手で自らの後ろ髪を示しながら趙雲は相手へ髪の結い方を伝えてゆく。

趙雲の話を楽しそうに聞いていた馬良がふと何かを思いついたらしく、話の合間に相手へ微笑みながら一言伝えると、忠臣の顔がみるみる赤くなった。

慌てて言葉を返す趙雲に、馬良は笑顔のまま頷いて承知している旨を伝えているように見える。

そんな二人を、少し離れた場所から呆然とした様子で見つめている人物が居た。

 

これは違う、と劉備はどくどく鳴り続ける胸を握りこぶしで押さえつけるようにしながら、己に言い聞かせている。

自分は仲の良い部下達の姿を目に出来て微笑ましく思っただけで、そんな楽し気な二人の会話を邪魔するのは悪いからと静かに背を向けただけなのだ。

では何故、最初に声を掛けようとしたのか?それなのに今はこんなに速足でその二人から遠ざかっているのか?と心の中でもう一人の自分が問うてくる。

傍から見ればまるで二人から逃げているように見える、と。

それは違う、己は気を遣っただけだ、と劉備は言い返しながらも今ほど目にした趙雲の照れたような笑顔を思い返して胸がじくじくと痛んでいる。

痛みの理由は自身で分かっている筈なのに、劉備はその答えを知らないと己に強く思い込ませて、少し前に趙雲と馬良がぶつかりそうになっていた廊下の角を足早に曲がった。

 

おや、と直前まで可笑しげにこちらの顔を眺めて笑っていた相手が、歩みを止めて後ろを気にする素振りを見せる。

「どなたか、いらっしゃったような・・・?」

馬良の視線を追うように後ろの廊下へ顔を向けた趙雲の目には誰も映っていない。

「誰もおりませんが・・・」

気のせいではないかと小首を傾げる趙雲に構わず、白眉は黙って廊下の先をじっと見つめている。

彼には確かに聞こえたのだ。

「子龍」

そう呼び掛けてきた声が。

だが自分が投げ掛けた問いに趙雲からの慌てたような言い訳が落ち着くまで待ってから振り向いた時、そこには誰も居なかった。

「趙将軍」

静かに、馬良が呼び掛ける。

相手の声の調子が先程と変わった様子に気付いた趙雲が、引き締まった顔ではいと応える。

「劉備殿は、どちらに?」

思わぬ問いに、趙雲は瞬きを繰り返してええと、と言葉を探した。

「今はお部屋で休まれております。以前から南の城壁の軍備をご覧になりたいと仰っていたので、私がこれからお部屋へお迎えにあがり、現場へお連れしようとしていたところです」

わかりました、と馬良は短い言葉で話を終わらせると目と鼻の先にある目的地へ向かって歩みを速めた。

「将軍、直ぐに殿の元へ行かれて下さい」

「え?」

なぜ、と続けようとする趙雲の疑問に答える余裕はないというように、馬良は前を向いたまま言葉を続ける。

「わたくしもご一緒したほうが良いのでしょうけれども・・・ああいえ、趙将軍お一人の方が宜しいですね。わたくしは他にやっておかなくてはいけない事もございますから」

いつもはこちらの言葉に耳を傾けることを大切にしてくれる白眉が、目元に僅かな厳しさを覗かせながら自身の頭の中の考えを矢継ぎ早に口にしている時、何事か起こっている状態なのだと趙雲は今までの経験から知っていた。

恐らくいま、彼の内では劉備の心身に何かが起きているのだろう。

馬良は、ひとの心の機微に関しては諸葛亮並みに勘が鋭いところがあると思い出した趙雲の表情が、僅かに強張る。

「馬良殿・・・殿に、なにか?」

伺うような趙雲の声に、馬良は白眉を下げて困ったような表情を見せた。

「わたくしも確信は持てないのですけれども・・・先程の人影は、恐らく劉備殿です」

「殿が?何故こちらに・・・」

そこまでは、と白眉は小さく苦笑して肩を竦める。

「わたくしよりも、将軍のほうが殿のお顔を見ればすぐにご様子はお分かりになるでしょう。もしわたくしの予想通りでしたら、劉備殿はお部屋で塞ぎ込んでいらっしゃるかも知れません。その時は、どうかゆっくりお話なさることをお勧めいたします。ご予定にある視察の件は、無理に本日行かれなくとも良いのでしょう?」

「はい。殿のご予定に空きがあれば、程度の場所です」

「でしたら、なおの事ゆっくりとお時間を作ってくださいませ。嗚呼、その時は」

必ず、お人払いを。

趙雲にそう言い含めると、馬良は書簡達の保管場所である己の仕事場の扉を開いた。

 

 

2.

一声かけて部屋の扉を開いた趙雲の目に、身支度をすっかり整えた主君の姿があった。

普段の劉備だったら趙雲が部屋に来るまでゆるゆると準備をしていて、その仕上げを彼に手伝って貰ってから出発するのが常である。

「遅くなりまして申し訳ありません、お支度の手伝いもせず・・・」

内心おやと思いつつ趙雲が頭を下げると、劉備は軽く首を振った。

「いや、予定の時間より早い。遅れてもいないのに謝る事などないぞ」

いつものように劉備は気遣いの言葉を返してくれるが、その声に明らかな強張りが含まれているさまを趙雲は聞き取る。

そして先程の馬良の困ったような顔が脳裏に浮かんだ。

どうやら白眉殿の心配が的中してしまったらしい、と趙雲は相手の言動から確信する。

だが馬良が予想していた状態と違うのは、劉備は塞ぎ込んでいる、というよりも怒っているように見える所だ。

相手は不興を表情に出さないようにしているらしいが、いつも主君と一緒にいる趙雲には空気で分かってしまう。

彼が己に対して何故怒っているのか理由を聞きたいが、恐らく素直に話してはくれないだろう。

こちらが解決に向けた糸口をどう見つけ出そうかと考えている間に、相手の劉備はさっさと外出する用意を整えている。

「劉備殿」

「南側の城壁へ行くのだろう?」

「ええ、そうなのですが・・・」

「どうした、何事かあったのか?」

淡々と訊ねられるが、私的な話以外で趙雲が彼に特別報告することは無い。

このままでは一人で部屋を出て行ってしまいそうな劉備へ、趙雲は急いで言葉を投げ掛けた。

「実は先程、馬良殿とお会いしたのです」

扉へ身体を向けていた劉備の動きが、ほんの僅かに止まる。

「偶然廊下でぶつかりそうになりまして、その際に馬良殿がお持ちになっていた書簡を私のせいで落としてしまわれたのです。こちらがご迷惑をお掛けしたので、それらを拾って運ぶお手伝いをして参りましたのでこのように遅くなってしまい・・・」

「知っている」

感情の無い、平淡な声が返ってきた。

「先程見掛けたゆえ」

自らそこまで語ってくれた劉備のお陰で遠回しな会話をしなくても済んだ、と趙雲は僅かにホッとして成程と頷く。

「そうだったのですか。その際にお声を掛けて頂ければ・・・」

忠臣の言葉に、劉備は片眉を上げて相手の顔をねめつけた。

「声?まさか。そなたらの邪魔をするほど私も野暮ではない」

「・・・は・・・?」

突如こちらに向けられた苛立ち混じりの声と視線に、趙雲の身体は固まり言葉も失う。

唖然とこちらを見つめている趙雲を一瞥し、劉備は踵を返した。

「無理に私の供などせずとも、あのまま季常の手伝いをしていて良かったのだぞ。ああ、今からあれの所へ行けばいい、私は勝手に見てくるゆえ」

「なにを、おっしゃって」

劉備から投げつけられた衝撃的な言葉の数々を、ようやっと受け止めた趙雲の声すら相手は無視して部屋を出て行こうとしている。

頭の中は混乱したままの趙雲だが、ここで相手と別れてしまったら尚更拗れる、という一念だけで身体を無理やりに動かした。

「お待ちください!」

ぐいと左の二の腕辺りを掴まれる。

「くっ・・・!?」

不意に酷く強い力で引き留められたものだから、劉備は思わずよろけて己の腕を掴んだ趙雲の方へ数歩、歩み寄る形となった。

その小柄な身体を趙雲は両腕で受け止めると、肩を抱いて目線を合わせるように身をかがめる。

「劉備殿、いかがなされたのですか?」

趙雲は静かな声音で相手を落ち着かせようとするが劉備は眉間に軽く皺を寄せ、不快そうな表情を抑えようともしない。

「離せ、趙雲」

子龍、と呼んでくれない主君の言葉に、忠臣の顔が一瞬歪んだ。

「・・・貴方様のご不興の理由を教えて頂かぬ限りは、離しません」

「不興?まさか。私はいつも通りだ、そなたの気のせいだろう」

口元を下げて身を捩るが、趙雲の手の力は緩まない。

「離せと言っている、聞こえないのか?」

いいえ、と強い瞳で趙雲は劉備を見つめた。

「離しません。殿が理由を教えて下さらない限りは」

「・・・・・」

苛立った目で趙雲を暫く見つめていた劉備が、溜息をつく。

相手がこの目の色に変わっている時は、こちらが命令だといっても、本人の中で納得のいく答えが貰えない限りは決して言うことを聞かないことを思い出したらしい。

腕を離さないままの趙雲の顔から目を逸らした劉備は、わざとらしく明るい声を上げた。

「ならば言おう。季常と仲が良いのは結構だが、いちゃつくのは人目が無い所でしてくれ」

「・・・・・?」

不可解そうに趙雲の眉間に皺が寄る。

劉備は相手の反応などに構わず、投げやりな調子で話を続けた。

「ああ、分かっていると思うが孔明はあれを溺愛している。惚れたのならばきちんと話を通しておくのだぞ?」

笑い混じりに伝えられた言葉に、今まで抑えに抑えてきた趙雲の中で、なにかがぶつりと音を立てて途切れる。

趙雲の視界が、ぎゅっと狭まった。

「・・・劉備殿」

相手の声の変化に、劉備はまだ気が付いていない。

「可愛い義弟が知らぬ間に取られたと知ったら怖いからな、孔明は」

みるみる表情が変わって行く趙雲の顔など見もせず空っぽの言葉を紡ぎながら、劉備は己で何を語っているのだろうとどこかでぼんやり思っている。

廊下で馬良に向けた趙雲の笑顔を見た瞬間に生まれた胸の痛みの理由を、初めの段階で素直に認めるべきだったのだ。

そんな愛おしげな顔を、私以外に見せないでくれ、と。

ただ一言の我儘であったはずのそれを、つまらない意地と嫉妬から決して入らない大きさの心の隙間へ無理やりねじ込むように押し込めてしまったせいで、今では後戻りのできない嫌な言葉たちに変えてしまった。

何ということを、と頭を抱えるもう一人の自分を劉備は振り切って、強張った笑顔を作る。

「まあそなたの事だ、孔明も認めてくれよう。さあ話したぞ、腕を・・・」

「お話は、それで終いですか?」

いままで聞いた事も無いような低い、低い声が劉備の耳に響いてきた。

思わず鳥肌が立ちそうなその声の冷たさに驚いた劉備が趙雲の顔を見ると、無表情でこちらを凝視している相手と視線がぶつかる。

「他に、お話は御座いませんか?」

再度、ゆっくりと趙雲が問うてきた。

いままで向けられたことの無い相手からの威圧感に劉備が声も出せずに固まっていると、趙雲が半眼で左様ですか、と呟いた。

「なにやら馬鹿馬鹿しくなって参りました」

あれだけ懸命に引き留めていた筈の趙雲の両手が、急に興味が無くなったかのように、すっと劉備の腕から離れる。

「私は、貴方様がいらっしゃるから此処で生きようと決めておりました。貴方も私にそれを望んで下さっているのだと、ずっと思っておりました。しかし違っていたようですね」

趙雲は一歩下がり、うやうやしく拱手の礼を取った。

「幾度も私は貴方様への思慕の念をお伝えしておりましたが、それら全てが信じて頂けていなかったのだと、本日漸く分かりました」

相手の冷ややかな言動に、劉備は一瞬で全てを察して指先から血の気が引いてゆく。

趙雲は怒っているという状態ではない。

怒りを通り越して呆れ果てていると言った現在なのだろう。

先程まであれだけ趙雲と距離を取りたかったはずなのに、今は逆に相手を引き寄せようと中途半端に片手を上げて思わず劉備は違う、と精一杯のかすれ声を出した。

「待て、ちがう」

「何が違うのでしょうか」

感情の無い趙雲の言葉遣いに内心震えあがりながらも、劉備は少しでも話せる余地があればと食い付く。

「そなたの忠心は分かっている・・・私が言い過ぎた」

「言い過ぎ、ですか」

「そうだ。子龍を酷く傷付けてしまったと理解している。だから、そなたに謝らねばと・・・」

「左様ですか」

顔を上げた趙雲の表情は相変わらず眉ひとつ動かない様子で、胸中が全く読めない。

見た事も無い様子の相手に対して何をどう伝えてよいのか分からず、劉備は怯えにも近い感情を覚えて戸惑う。

だがこれだけ心が冷え切ってしまった相手に対して無言を選んではいけない、とも彼は知っている。

自分から何でもいい、どんな下らない事でも何かを伝え始めなければ、目の前の若者は決して振り返ることなく直ぐにこの地を去ってしまうだろう。

つまらぬ嫉妬から生まれ出た言葉の代償の大きさを劉備は、いまこの状態で改めて認識して額に手を当てて小さく唸った。

「ああ・・・すまぬ。今ほどの言葉はその、わたしの、」

必至に言葉を探す劉備へ、趙雲が軽く手を上げて今しばらく、と流れを止めた。

「申し訳ありません、少しお時間を頂けないでしょうか。いま貴方様からお話を伺っても、私の方がまともな判断が出来かねますゆえ」

妙なところで冷静な男である。

話も聞いて貰えず去られるのではと危惧していた劉備は、ほんの小さな解決策が見えそうな気がして、構わないと急ぎ頷いた。

「わ、わかった。では夜にでも・・・」

己にも省みる時間が必要だからと相手へ予定を尋ねようとした時、扉の外から失礼しますと声が届く。

聞き慣れたその声に劉備がぎくりとした様子を、趙雲はひんやりとした表情で眺めていた。

廊下よりも気温が下がっているのではないかと錯覚してしまいそうな部屋に入ってきた人物は、室内の二人を交互に眺めてまあ、と驚いた声を上げる。

「どうなさったのですか、お二人とも。お顔が真っ青です」

劉備がちらりと趙雲へ目を遣るが、彼は無言で突っ立ったままだ。

「季常・・・その・・・」

己の酷い言動から趙雲を幻滅させてしまったことをどう説明すればいいのかと劉備が口ごもっていると、趙雲が先に口を開く。

「馬良殿、殿の話し相手になっていただけませぬか?私は少し頭を冷やして参らなければいけませんゆえ」

淡々と馬良へそう伝えて部屋を出てゆこうとした彼を、白眉が穏やかにお待ちを、と引き留めた。

「頭を冷やしてくる・・・ということは、趙将軍はお怒りなのでしょうか?」

ええ、と忠臣は顔色も変えずに即答する。

「お恥ずかしい事に」

口元に手を添えて少し考えるような素振りを見せた馬良が、ではと更に問いを重ねた。

「この場で将軍のご気分を変えることができれば、こちらに留まることは可能でしょうか?」

白眉からの不思議な問いに、無表情な趙雲も僅かに首を傾げた。

「・・・かも、知れませぬ」

落ち着いた様子で相手の話を聞いていた馬良が頷く。

「左様ですか。・・・殿」

「うん・・・?何だ??」

「殿の御前での無礼をお許しくださいませ」

そういうが早いか、室内に乾いた音が響いた。

意外な馬良の行動に、劉備は目を丸くして固まっている。

趙雲は自らの身に一瞬なにが起こったかのか分からず、顔を横に向けたまま瞬きを忘れている。

見事な平手打ちを趙雲へ送った馬良は、頬を叩いた手を素早く袖の中に収め、凛と声を張った。

「さあ、これでお怒りで狭まっていた視野、少しは広がりましたか?趙将軍」

打たれた頬へ手をやり、数回ゆっくりと呼吸をしてから、趙雲は馬良へ向き直る。

「ええ・・・ありがとうございます。助かりました」

怒りから目が吊り上がっていた趙雲の表情に僅かな余裕が出来たことを見抜いた馬良は、眉を下げて深々と頭を下げた。

「とんでもございません。理由はどうあれ、将軍へ手を上げるなど無礼も無礼です。わたくしへの罰は後程しっかり言いつけて下さいませ。ですが、今は将軍が居て下さらないと困るので・・・ほんの一時で構いません、堪えていただけませんか?」

「き、きじょう、なにを・・・?!?」

目の前で起こっている状況に追いつけず混乱している劉備へも、白眉は申し訳なさそうに頭を垂れる。

「申し訳ありません、殿。実はわたくし、先ほど殿が廊下にいらっしゃっていたのを知っていたのです。ですがお話する機を逃してしまいました。もしかしたらそれが原因でお二人の間に溝が出来てしまったのではないかと思いまして、お節介をしに参ったのです」

そこまで告げて馬良は顔を上げると、悲しそうに首を振った。

「殿。もし・・・もし、趙将軍へなにかしらのお疑いを持たれていらっしゃっていたのでしたら、わたくしは自らの命を捧げてそれを否定致しましょう。責めるべきは将軍ではございません、全ての原因はわたくしの軽口にございます」

懐からいつも身に着けている短刀を取り出すと、白眉は鞘に収められたままのそれを劉備へ向けて両手でうやうやしく捧げ持つ。

自らの命を懸けて趙雲の忠心を信じて欲しい、と懇願する馬良に劉備は驚き、相手が捧げ持つ短刀を急いで取り上げると彼の懐に己の手でそれを押し込んだ。

「馬鹿な事を申すな!そなたの命など欲しくはない!!私のつまらぬ嫉妬ひとつで大事な者を死なせるなど・・・っ」

こちらの両手を握って叱責にも近い声を出す劉備へ、馬良はゆるりと首を振る。

「ですが、わたくしの言動で殿のお心を騒がせたのは事実にございます」

「違う。季常のせいではない、子龍のせいでもない。私の、わたしの醜い嫉妬がそなたらを傷付けたのだ」

いつも自分を一番に思ってくれる存在の尊さを忘れ、どんな感情をぶつけても赦してくれるだろうと思い上がっていた己の見っとも無さに、劉備は身を震わせて情けないと自らを責めた。

こちらの手を握りしめて俯き、肩を震わせる主君を馬良は柔らかな声で包む。

「殿。どうかご自身を責めないでくださいませ。間違えを犯したと思われたのでしたら、それは謝ることが出来る良い兆しにございます。誤った言葉をぶつけてしまった相手へ御自ら歩み寄られ、お心の内を素直に語る大切な機会。今回のそれはわたくしに対して、ではございませんでしょう?」

そう言うと、馬良は少し離れて自分たちを見つめていた趙雲へと顔を向けた。

白眉と目が合った趙雲ははっと気付き、二人へ歩み寄る。

さあ、と馬良に再び促されて涙に濡れた顔を上げると、心配そうな表情をした趙雲が目の前に立っていた。

「子龍、私は・・・」

「ああ・・・申し訳ありません。殿、お二人同士の語らいの前にこれだけは」

話し出そうとした劉備へ馬良がやんわりと割って入る。

「趙将軍が殿へどこまでお話されたのか伺っておりませんでしたので内容が重複するかも知れませんが、大切な部分だけわたくしからもお伝えさせてくださいませ。先程わたくしが趙将軍にお尋ねしていたのは、将軍の髪型なのです」

赤くなった目をぱちぱちさせて、劉備が首を傾げた。

「髪型・・・?」

ええ、と頷いて馬良が自らの長い髪を指さして微笑む。

「はい。将軍のように高い位置で結える方法を教えて頂いていたのです。わたくしも冠を外して過ごせる日に、髪の長さを気にせず気楽に過ごしてみたくて。その時、わたくしが将軍をからかったのですよ、この髪型は・・・」

「ば、馬良殿っ!」

白眉の話を慌てたように止めた趙雲の声に劉備が驚いて顔を向ければ、彼は顔を赤くして長い前髪を掻き上げていた。

「そ、そのお話は・・・」

言わないでくれといわんばかりの顔をしている趙雲へ馬良は否と首を振ってあっさりその願いを却下する。

「いけませんよ将軍。いちばん大切なところを誤魔化しては殿が不安に思われます」

「季常・・・なにを」

話が呑み込めずに戸惑う劉備に馬良がそっと顔を寄せて宜しいですか、と語り掛けた。

「わたくしは趙将軍へこうお話したのです、劉備殿」

―――貴方様の大切な御方がこの髪型をなさったら、きっととびきりお美しいのでしょうね。

「・・・さて、どなたの事でしょうか?殿??」

にこにこと微笑みながら問いかけてきた馬良の言葉に、劉備の耳がじわじわと熱くなってくる。

あの時、自分が目にした趙雲の気恥ずかしげな笑みの理由は、己の邪推したものとは正反対の内容だったのだと劉備は理解した。

「だ、誰と言われても・・・」

頬を染めて答えに窮している主君の姿に、馬良はもう大丈夫だと判断して、ずっと握っていた劉備の手を趙雲へさあ、と受け渡す。

「ここからはお二人でお話を。わたくしは失礼いたしましょう・・・ああ、視察の件は中止になったと兵たちには伝えておきましたのでご心配なさらなくて大丈夫です。それと趙将軍、先程の殴打の罰ですけれども、わたくしは私室にて待機しておりますので、落ち着かれましたらご処断をお願いいたします」

己の無礼を忘れないでくれと言いながら丁寧に礼をする白眉へ、趙雲が酷く困った様子で眉を下げた。

「馬良殿、それは・・・」

「季常、なにを言っているのだ?」

返答に困る趙雲の代わりのように、脇から劉備がとぼけた声を上げる。

「私はそのような無礼を目にしてはおらぬぞ」

主君の言葉に、今度は馬良が驚いて目を丸くした。

「い、いいえ!何を仰るのでしょうか、わたくしは確かに趙将軍の頬を・・・」

白眉の告白にも劉備は首を傾げて趙雲の頬を眺める。

「うん?あれを殴打というのか??どれ」

そう言うと忠臣の頬へ自らの指を伸ばした。

馬良が殴打した辺りを幾度か撫でて確認すると、劉備は肩を竦める。

「腫れてはいないな。子龍、口の中は切れているか?」

いいえ、と趙雲も柔らかく笑んだ。

「どこも痛みませんし、切れてもおりませぬ」

そうだろうと劉備は苦笑いにも近い表情を見せて、馬良を見つめた。

「季常、撫でる程度では殴打とは呼べぬ。それよりも・・・ほら」

趙雲に目で合図をして繋いでいる手を離すと、劉備は馬良の片手を取る。

「慣れぬことをさせてしまったな。痛みは無いだろうか」

殴打した手を優しく撫でて労わりの言葉を送ってくれる主君に、馬良の目が潤む。

「殿・・・」

「忙しい中で心配させてしまってすまなかった。これはそなたの仕事に欠かせぬ手だ、もし痛みがあれば直ぐ医者に診てもらうのだぞ?」

「馬良殿、念の為こちらを巻いて冷やして下さい」

脇から、水で濡らされた手拭いが趙雲より差し出された。

「そのような・・・将軍まで・・・」

堪え切れなくなった馬良が、空いている片袖で顔を隠す。

劉備が濡れ布を馬良の手に巻いてやりながら微笑んだ。

「当たり前であろう。そなたは私が犯した過ちから途切れそうになった子龍との縁を、そなたは自らの事のように思い、身をもって繋ぎ止めてくれたのだ。これくらいはさせて欲しい」

布を巻き終えると顔を伏せたままの馬良を劉備は穏やかに抱き締め、その背をさすってやる。

「私は良い部下を持った。ありがとう、季常」

はい、はい、と馬良は涙を拭って頷き一歩下がると、改めて頭を下げた。

「わたくしこそ、素晴らしい主とその臣の方に巡り合うことが出来ました。ありがとうございます・・・これからも殿の為に励みます」

「ああ、迷惑もかけると思うが、宜しく頼む」

馬良は顔を上げて劉備と趙雲へ微笑みかける。

「ふふ・・・お任せください。ですが、今回のような事は、もうなるべく起きませんようにと願っております」

「・・・・・すまん。それは、本当に悪いと思っている・・・・・」

「いいえ、いいえ。これはわたくしの口の悪い冗談でございます。さあここから先はお二人だけのお話。わたくしは失礼いたしましょう」

まずは劉備へ、そして次に趙雲へそれぞれ礼をすると、馬良は静かに退室していった。

その背を見送った二人の間に、ほんの僅かな静寂が流れる。

顔を扉へ向けたまま、劉備が小さく相手の名を呼んだことでその静寂は破られた。

「子龍・・・すまない。嘘に付き合わせてしまったな」

劉備の隣から、小さな溜息が聞こえてくる。

「致し方ありませぬ、あの流れでは」

やれやれといったふうな相手の声に、いつもの優しさは含まれていない。

趙雲の軽く腫れて熱っぽかった頬の感触を劉備は思い出し、握ったこぶしに力が籠る。

「呆れているだろう、都合よくそなたを利用してばかりの私を」

ほうと趙雲が意外そうな声を漏らした。

「ご自覚はお持ちなのですか」

自らの言動を振り返り、劉備は眉間に皺を寄せて苦しそうな息をつく。

「・・・そうだな。そなたの優しさに寄りかかり過ぎていた己を心底嫌になるくらいには、理解した」

「理解なされた後は、どうされるのでしょうか?」

立て続けに答えを求めてくる相手の言葉に、劉備は天井を見上げて言葉を探した。

ええと、と考える劉備の横顔を、趙雲は静かに見つめている。

「先程の暴言を、改めて謝りたい」

そういうと劉備はひとつ大きく息を吸って、趙雲と向き合った。

真っ直ぐに忠臣の目を見つめて、子龍、と呼び掛ける。

「すまなかった。私はそなたの尊い気持ちを嫉妬という泥の付いた靴で踏みにじってしまった。あれだけの温かな思いやりを感謝の念で触れることもしないで、冬の冷たい川へ無下に放り込むような行いをしてしまった。もう、赦して貰えるとは思えぬが・・・」

趙雲を見つめていた瞳が、ちらりと揺れた。

「私は、子龍が好きだ」

絞り出すような劉備の一言が、趙雲の耳を打つ。

劉備は目を閉じて、静かに告白を続けた。

「酷い言葉を投げつけておいて、いまさら自分勝手だと責められて当然と分かってはいるのだ、でも・・・そなたに愛想を尽かされたあの瞬間でも、私は子龍が好きだと思ってしまった。今更この想いを汲みなおして欲しいとは言わぬ、変わらず傍に居て欲しいとは勿論言えぬ。子龍が私から離れると決めていたとしても・・・止めることは出来ないと、覚悟している。ただ、人の心を汲めぬ愚かな男がそなたを好いている、とだけは憶えていてはくれぬか?」

度の過ぎた嫌味を言ったときよりも、何倍も素直に言葉が滑り出る。

どうして先にこの言葉達を伝えられなかったのだろうと、劉備は己を恥じ、悔やんだ。

自分が言いたいことはこれだけだ、と話を結んで、劉備は足元へ視線を落として趙雲からの反応を待つ。

暫くの間、相手は微動だにせず無言のまま劉備の前に立っていた。

これはますます嫌われただろうか、と劉備の心に不安の色が広がり始めたとき、趙雲が片手を腰に当ててひとつ息をついた。

「困った御方です」

「・・・・・え?」

相手からの思わぬ言葉に劉備が顔を上げると、趙雲は眉を下げて肩を竦めている。

「貴方様の嘘に付き合った時点で、私は腹を括り直しておりましたのに」

「うん??」

どういうことだろうと劉備が瞬きを繰り返している様子を見て、趙雲は苦笑いを漏らした。

「私も、貴方様を嫌いになり切れなかったと、気付いてしまったのですよ」

馬良に張られてじわじわと熱を持っている頬へ触れてきた相手の指先の優しさに、趙雲の強張っていた心は緩やかに解けてしまったのだと言う。

「確かに先程のお言葉はあまりな内容で、酷く悲しく、投げやりな気持ちになりました。頭に血が上った勢いのまま貴方様から離れてしまおうかとも思いました。ですが、馬良殿への貴方様のお気遣いを目の当たりにして私は気付かされたのです」

自分はもう、この御仁から離れる事など出来ないほどに慕ってしまっているのだと。

「貴方様がつかれた優しい嘘に付き合うことが出来た己を、幸せだと思ってしまったのです。これからも貴方のお傍でこの気持ちを感じていたい、とも・・・ですから」

そこまで言うと、趙雲は片膝を床につけ、きちりと拱手の姿を取った。

「先程までの無礼な言動をお詫びいたしますと共に、どうぞこの趙子龍を、変わらずお傍に置いてはいただけませぬか?」

深々と頭を下げる趙雲に、劉備が慌てたように自らの両ひざを床につけて相手へすがりつく。

「や、やめてくれ!そなたが礼を取る必要は無いのだ!!私の愚かな言動が全て原因なのだ、頭を下げるのはこちらの方・・・どうか顔を上げてくれ!」

劉備に促されて面を上げた趙雲は、間近で申し訳なさそうに見つめる相手の大きな瞳とぶつかった。

「劉備殿・・・」

「子龍っ」

こちらが何か言いかける前に、劉備が首に両腕を巻き付けるように抱き付いてくる。

突然の抱擁に趙雲は咄嗟に相手の身体を支えようと抱き留めた。

彼の鼻先に劉備の艶やかな黒髪が掛かり、甘やかな香りは鼻腔をくすぐる。

夜の静けさに紛れて確かめるばかりの香りを昼中に覚えた趙雲の胸が、ばくばくと早鐘を打ち始めた。

「と、との」

動揺する趙雲に構わず、劉備は抱き付いたまま相手の名を繰り返す。

「子龍・・・子龍、」

甘えるような劉備からの呼びかけに、相手を抱き締めている趙雲の腕の力も自然と強まる。

「劉備殿・・・なにか、仰りたいことがあるのですか?」

囁くような声で問われた劉備は、そこで漸く身体を少し離してお互いの顔が見える状態に座り直した。

趙雲の肩口に手を置いて顔を赤らめている劉備は、あの、その、と口ごもっている。

相手が話し出すまでゆっくり待とうと思っていた趙雲だったが、その愛おしげな様子に引き込まれるように頬へ手を添えた。

「殿?」

優しく頬を撫でてくれる大きな手の感触に劉備はますます顔を赤くして、う、と言葉にならない声を出す。

「す、すまぬ・・・ちゃんと仲直りを、したくて」

「仲直りですか?」

うんと劉備が頷き、趙雲の顔へ自らの顔を寄せた。

「いつも子龍が先に謝ってくれていたから、今日は、私から・・・」

こちらに相手の体重が僅かにかかった、と思った瞬間、趙雲の唇に柔らかな感触が与えられる。

胸が温かくなるその感触は、気後れするように直ぐに離れそうになった。

「との」

趙雲が足りません、と甘く囁いて劉備の唇を追いかけるように塞ぎ直す。

「っ、ん・・・頬を、冷やさねば」

口づけの合間に劉備は小さな懸念を伝えるが、趙雲は後で構わないと抱き締め直して目を細めた。

「今は、貴方の事を」

再び顔を寄せてくる相手の僅かに熱が残る頬を自らの手で癒すように包み込んで、劉備は甘い願いに目を閉じる。

穏やかな口づけを繰り返しながら、いつの間にか劉備と趙雲の手は二度と離れないようにしっかりと繋ぎ直されていた。

 

 

3

自室で調べものに励んでいると、聞き慣れた声と共に長身の人物が部屋に入って来る。

咄嗟に袖で隠すようにしたのに、右手に巻かれた布を目敏く見つけられてしまった。

相手はこちらへ素早く歩み寄って、季常、と硬い声で呼びかける。

「その手はどうしたのですか、利き手を怪我するなど」

厳しい目つきで自分の手を取る義兄に、馬良は穏やかに首を振って見せた。

「ああ、これは怪我とは違うのです、孔明様。実は・・・」

先程まで見事な痴話喧嘩に巻き込まれた話を諸葛亮へ簡単に話して見せれば、相手は羽扇をはたりと動かして盛大な溜息をつく。

「全くあの御方は・・・貴方も貴方です、歴戦の武人へ無茶な事を」

顎に指先を添えて、白眉は困ったように笑った。

「申し訳ありません。義兄上を心配させるつもりは無かったのですけれども、あれくらいしなければ趙将軍は出て行ってしまわれそうなご様子でしたので、思わず」

はあ、ともう一つ溜息をついて諸葛亮が眉間に皺を寄せる。

「そもそもです。いつも話合いで解決しようとする貴方が人へ手を上げるなど、らしくない行動に聞こえました。もしや、誰からか入れ知恵でもされましたか?」

まあ、と馬良は小さく声を上げた後、袖口で口元を隠してくすくすと笑い出した。

「ふふふ、流石は義兄上です」

「笑い事ではありません。聡明な貴方にとんでもなく思い切ったやり方を吹き込んだのはどなたですか」

「予測は付いていらっしゃるのでは?・・・簡雍様ですよ」

笑いながら馬良が軽く口にした人物の名に、軍師は片眉を上げた後で盛大に納得した、という意味の溜息をつく。

「まあ義兄上、いらっしゃったばかりですのに、もう三度も溜息を」

「分かっております・・・成程、簡雍殿・・・」

劉備と古い付き合いである古参の文官の顔を思い出しながら、諸葛亮は眉間の皺を増やしている。

そんな義兄の様子に馬良は慌てて言葉を注ぎ足した。

「あ、あの、義兄上!簡雍様は面白半分に焚きつけた訳では無いのです。趙将軍と別れた後でいかがするべきか悩んでいたわたくしを、あの方は見付けて助言してくださったのです、ですから・・・」

簡雍の助言の成果はあったのだと庇う義弟を、諸葛亮は優しい声で分かっておりますと宥める。

「貴方のそういう優しい部分を私は好ましく思っています。ですが、慣れぬことはしない方が一番でもあります。・・・分かりますね?」

自分の右手を優しくさすりながら笑み掛けてくれる諸葛亮の微笑みは真に愛情の籠ったものだと馬良は感じて素直に頷き返しつつも、これはやはり口を滑らせてしまった気がする、と相手の目つきから確信した。

そうして、頑張って仲直りさせてこいと力強く背中を押してくれた簡雍へ心の中で謝りつつ、馬良は諸葛亮から与えられる手の温もりを穏やかな微笑みで返した。

 

 

 

(おしまい)

 

 

 

 

 

 

ありがとうございました、お疲れ様でした!

予想以上にめちゃめちゃ長くなってしまってすみませ・・・

趙雲と劉備の下りはちゃんと書かないとグダグダになりそうだったので頑張りましたらやり過ぎた感が・・・いや痴話喧嘩も過ぎれば笑い話になってくれるかなって・・・

趙雲が好き過ぎて馬良さんのような方にすらも嫉妬する劉備殿を書いてみたかったのです。

さり気無く孔良も・・・この二人も好きなので。

そして簡雍さんの今後が心配、頑張れ(酷)

相変わらずの二人に出来たので満足です()

最後までお読み下さってありがとうございました!!